昭和51年06月15日 朝の御理解
御理解 第16節
「無常の風は時を嫌わぬというが、金光大神の道は、無常の風が時を嫌うぞ。」
金光大神の道は無情の風が時を嫌うぞと言う事は、無情の風と言う事は金光大神の道にはない。とまぁ言う事にもなる訳ですね。金光大神の道は無情の風というのはない。もしあるとするなら、それは有情の風であり親情、親の情または神の情をもっての風である。金光大神の道はそういう道なんです。これは運命だとあきらめの道ではなくて、その運命が有り難い展開をなして行くという道である。どうでも金光大神の道をどうでもお互い体得しなければいけない。
金光大神のいうならお道の信心、金光様の御信心を頂いておっても道を知らず、道を行じなかったらこれはまた別です。金光大神の道はと言っておられますから、金光大神の道もう有情の風しかない、親情の風しかない、無情の風というのはないんだと。そしてどういう運命の悪い人でも、よい運命に頂き変えて行く事が出来る道だと。いわゆる子孫繁盛、家繁盛の道だと、金光大神の道は。だからどうでも金光大神の道を体得する事に、焦点をおかなきゃいけんです。
ただお参りしたら金光大神の道を歩いておるとか、守ってとると言う事じゃない。金光大神の道というのはそういう道。「神のみかげを人々に、取り次ぐ道の伝われて」と。いわゆる「金光大神の道の伝われて」と言う事です。喜びに満ちる生活の日に日に新たに生まれつつ、立ち行く世界の広がり行くは有難し。我ら道の輩は、生活の全面に御取次を頂きて、日々の御礼申しつつ、ここに金光大神の道はこういう道なのです。果たして喜びに満る生活が日に日に新たに生まれつつあるかどうか。
神のみかげを人々に取り次ぐ道のと言いう、いうなら合楽示現活動に本気で参画させて頂きたいとの念願、または参画させて下さいという願いをお互いもっておるかどうか。言葉こそ違え同じなのです。いや同じというよりむしろ具体的な表現ですね、合楽示現活動というのは。私共がその気になってその活動に参画させて頂く時に、それこそ人間の知恵力ではどうにもできない、不思議なはたらき。いわゆる神仏が不思議なはたらきを示して現すというはたらき。
そういうはたらきが受けられる程しの事を、私共が願いとしての信心でなからなければならん。我ら道のともがらは。私共はいわゆるお道の信奉者。なら合楽に御神縁を頂いておる信者同士が手に手をとって、そういう大きな神様の願いに応えて立たせて頂くという、その内容になるものであります、金光大神の道というのは。どういう内容になるかというとです。先日熊谷さんがほとほと感心してこられました。あの幹三郎が書き物をしているのを見せていただかれた。
それにはちょっと見せて下さいというて見たら、こういうことが書いてあったと。「金でなく物でなく、和賀心で潤う事を覚えよう。幹三郎」と書いてあったと。「金でなく、物でなく和賀心で潤うことを覚えよう」と。それが金光大神の道なんです。これが根本なんです。その心こそ和賀心というのです。金がある時はにこにこ、金がなくなればくぅっという顔をしておる。物が豊富であると機だけは活発だけれども、物が少なくなってくるとしおれてしまう。
それでは金光大神の道を執しておると言う事にはならないのです。和賀心和賀心というけれども、私は和賀心とは今幹三郎がここに書いておるそう言う様な事だと思うのです。金ではない物ではない、和賀心で潤う事を覚えようと言う事が、金光大神の道を覚えようと言う事に私はなると思うです。自分の心が潤うておる。その潤うておる心に降る程しのおかげの種が蒔かれておるのですから、そこに喜びの芽が出喜びの芽がまた育てていくところの精進が、いわばいるというわけであります。
どういう精進かというと、昨日ちょうど一年振りに参ってきた方がございました。福岡の方ですけれども、小倉に自分が熱心にお参りしておる時に、小倉の親戚でしょうか、親しいお付き合いでしょうか、一緒につれて参って大変おかげを頂いておる。あれ以来とてもそのうおかげを頂いて、今度家屋敷を買わせて頂く程しのおかげを頂いたと。その事について前からあなたがお参りしていたところに連れて参ってくれというてみえられた。その方は実際信心はやめてあった、一年あまり。
けれども実は私もお参りしてお願いせんならん事やら、お伺いせんならん事は一杯あるけれども、あんまりお参りせんで敷居が高くなっとる。けれどもあなたが来たなら、わざわざ小倉からきてある訳ですから、なら一緒にお参りしようというて、丁度昨日四時の御祈念をさせて頂こうというちょっと前にここで研修しておるのを、後ろから研修を見られたり聞かれたりして、本当に1年間の間御無礼をしたと言う訳でございました。まぁ色々と生き悩み、色んな悩みがもうとにかく溜っとる事、溜っとる事ばさらか。
願わなんから一年分じゃけん。そしたら私あのう頂きます事が、お祝いのねこの『祝い』という字を頂いた。そしてその祝いという字にですね、岩井千恵子さんの岩井です、その『岩井』とこう頂いた。岩井戸の井です。一生懸命お参りもした、一生懸命御用もさせて頂いたけれども、おかげ頂ききらじゃったと。それを無常の風のように思うておる訳です。もうやっぱり金光様の信心でちゃ助かりきらじゃった、おかげ頂ききらじゃったとこういうのです。
それをね、そのう井戸をボーリングですかね、を掘っている所を頂いて、丁度岩石にね、岩にぶつかっておる所。お互い信心をさせて頂いておるとね、いうならばあのう金ではない、物ではない自分の心が潤う、喜び満ちる生活とはです、そういうところを通り抜けた人達だけに与えられる私はおかげが、喜び満ちる生活と言う事が約束されると思うですね。これはもう絶対の理です。そこんところがだから信心辛抱とも言われる訳です。一生懸命参ったばってんおかげ頂ききらじゃったと。
右と願ったけれども左となったと。それでそこんところはちょぅど井戸を掘るのに、いうなら岩なら岩にぶつかっておる様な所ですから、そこんところをもう一つ本気で固いでしょぅけれども、そこんところを掘り下げていって初めてお水が頂けれる、そのお水こそが、私は本当のおかげの水だと思うのです。手前のところにあるのはほんなものじゃない。いうならば、おかげというのは、地獄の底の釜の底を踏み抜いた向こうに極楽があると言われてあるのもそういうことだと思うのです。
生ぬるかお湯にどんはいって、あぁ極楽極楽と言ってるようなものとは違うです。それこそ地獄の釜を踏み抜くほどしの、私は勢いというか、執念という意味に於いての執念と言うか、貫かねばやまんというものなんです。先日ある京都の方で、般若心経100万べん、13年間がかりで説き上げたという人の話が新聞に出ておったそうです。大変なおかげを受けておられると言う事です。また霊徳神徳も受けられたという話が出ておった。さあここで大祓い信行と言う事が言いだされたが。
初めの間は一生懸命やりよったけれども、それが段々この頃はやったりやらなかったりというような人達もでてる。そげなことでおかげ頂ける事は絶対ないです。あの大祓い信行が始まった時にね、創価学会の元の会長が、獄窓から自分の子供に書き送ったという手紙がある。まだ12、3才の子供に対して、お父さんもここから一生懸命お題目を唱える、だから君の一番都合のいい時間を知らせてくれ、親子共々に題目を唱えよう。必ず親子の心が通わない筈はないと、手紙を書き送ったというのです。
そんなところに言わば私共がです、大祓い信行をさぁ東京におる息子にも、大阪におる娘にも、遠くに行っている子供達にも、その事を書き送ってやろうじゃないの、続けようじゃないのと言うて、まぁ大祓い信行が一時非常に盛んになった。それがまだ一年もたたないうちに崩れてしまうと言った様な事はね、今日私がいう、固い岩石にぶつかった時にです、まあぶつからんで手前の方からあがっておる生ぬるかごたるお湯、冬は冷たい夏はなまぬるかというごたる水ならいざしらずですよ。
それこそ夏は氷のような冷たい水が、冬はお湯のような温かい水だと言う様なおかげを頂くには、堀り貫かなければいけんです。いうならば地獄の底の釜も踏み抜く位の勢いがいるです。そこに私は頂き与えられる心が喜び満る生活、喜び満る心だと思います。昨日ここを下がらせて頂いてから、若先生がちょっと話があるからというので、私の部屋にきましたら、色々と話をさせてもらった中に、私が話した事でしたけれどもね、私はあのうあんた達にでも、どんな場合にでも、どんな事にでも。
私があんた達にあげんせにゃいかんじゃないか、こげんせにゃいかんじゃないか、そげな事でどうするかというて、責めた事はないだろうがと私は言いました。もう私はどこまでも例えばあのう、風と太陽との旅人の外套を脱がせようというあれがあるでしょう、もう私は絶対風を送る様な事はしない。もうただとにかくあんた達の目に余るような時には神様に私がお詫びをする。そしてお願いをさせて頂くだけであって、そげな事でどうするかと言う様な事は責めない。
それはなぜかというと、神様が私が風を送らんでも神風を送って下さる事を確信しておるから言わんで済むのだという話をしました。例えていうならばこの頃から私共の直子が、本当に血とは争えんなという位に、熱烈な修行をしよりました。もうそりゃ自分もおかげを頂いて嬉しそうでした。それからこの頃から若先生が東京に行きます時に、東京にやらせて頂いたら、ちいった東京風な風が身にしみてきて、こしらえる事を覚えたり、そげんしよったらちゃんと、神様の方が疎かになっとる。
ところが先日から出てこんと思いよったら、丁度女学校に行きよる時分に、足の病気をして長い間休みました事があったが、それと同じ足の痛みでもうそれこそ、ご飯もいけんごたる状態で、今難儀をしておるというのです。だからそれを例にとって、勝彦さんなら直子の場合だって、信心がおちたからといってどうも言いもせんけれども、あれがそのまま神風だよと私は言うんです。ならあんたたちが子供が具合が悪か、早速お取次ぎを頂いてお願いにくる、ということと同時に。
これは親先生が祈っておられるから神風が起こっとるんだという、だから風は神様の方から吹かせて貰うのであって、だから金光様の神風というは無常の風ではないと言う事なんです。有情なんです神情なんです。おかげ頂かさにゃいかんという神風なんです。私は皆さんにですね、あのう本当に人を責めるとかと言う様な心はです、喜び満る生活が出来ると言う事はない。どういう苦しい時であってもその、その苦しいならば苦しいものを神様へ向けて、なら子供なら子供の場合でもです神風を信じて。私はどこまでも太陽のいうならば温かい光を送ってやる事だけと。神風と両方でねおかげを頂かせる。
今日私は御神前で頂いた事は、『自他共に』と言う事を頂きました。自分と言う事人と言う事、自他共にと言う事。昨日は「結合」と言う事を頂きましたですね、結合と言う事は、まぁ一緒になると言う事ですが、研修の時に結合と言う事を字引で引いてみなさいと引かせましたら、二つのものが一つになる事だと書いてあった。ただ結合しただけじゃいかんのです。二つのものが結ばれて一つになると言う事です。その一つになった時の心の状態を喜び満る、私は状態じゃないかと思います。
総いう私は喜び満ると言う事はです、日に日に新たにそれが生まれつつ立ち行く世界が広がっていくという、おかげを頂く事のためにです、私は今日は無情の風と言う事は、金光大神の道にはないんだと。なら金光様の信心をしよるけれども無情の風やろうもんあれはと。それは金光大神の道を踏んどらんからだと。だから言いよる外はないです。金光大神の道には無情の風はないと。例えそれは死んでおってもそれは有情の風だと。そこから助かりの道が開けるんだと。神情以外にはないんだと。
神の情親の情以外はないのだと。そこで金光大神の道を体得金光大神の道とは。只今申します喜び満る生活の出来れる、しかも日に日に更に新たに頂けていくという道なのです。であってこそ金光大神の道は家繁盛、子孫繁盛の道に繋がるのだ。その道の内容というのは、私共信心させて頂いて、あたしどんじゃもう駄目じゃろうかと思う様な所をです、やはり辛抱し抜くそれこそ祝いのおかげを頂くためにです、昨日はその事を頂いて、えらい感動をして帰られました。もう一遍新たにこれからお参りをさせて頂こうと。
息子達も難儀をしておるから、息子達も一緒にお参りさせて頂こうと、いうて帰られましたがです。丁度言うならば石にぶつかったからそれで堀りやめている、井戸をこれからもう一遍掘り直そう、そしていうならば尽きぬお恵みの水が頂けれる、喜び満る生活に入らせて頂こうといういわば一心発起をもってです、合楽で言われておる様々な運動、和賀心時代を創って行くと言う事。いよいよその為に信心の内容をいよいよ自分の心の中に。生き生きと頂く事の為に、大祓い信行を行じさせて貰い。
いよいよ天地書附を基軸にして、いうならば和賀心を目指して、その和賀心とは金ではなく物ではなく、和賀心で潤うて行く事を覚えようという生き方を身に付けて行く事が、その内容になって来るのであります。和賀心の賀というのはただ喜びという意味だけではなくて、おめでとうという心だと言われております。祝いめでたいという心なんです。心がいつも陽気賑やか、それに自分の心が潤うておる、いわゆる和の心であります。金光大神はそういう手がかりを与えて下さるのが、この教典の全てです。
どういう人でも、だからそこん所を執して行く限りですその心が頂けるのです。それが頂けるのはいうならば金光大神の道におりながら、金光大神の道を会得しようという精進がなされていないからです。日々こうして祈願詞をただそら読みに読んだだけではいけん。今日は「神のみかげを人々に取り次ぐ道の伝わりて、喜び満る生活の日に日に新たに生まれつつ、立ち行く世界の広がり行くは有難し。我らの道の輩は生活の全面に御取次を頂きて、日々の御礼申しつつ」と言う所と、御理解16節から頂きました。
どうぞ。